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主人のJMAT派遣活動報告です

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【熊本県医師会JMAT派遣活動報告】

活動場所:宮城県 女川町立病院
医療救護班員:医師1名
派遣期間:2011年3月31日 ~ 2011年4月7日
派遣チーム:中村英一

<活動内容>
3月30日(水)午後3時 中村こども・内科クリニック出発
      熊本空港ANA648便 17:55発 → 羽田空港19:35着
      東京宿泊
3月31日(木)午前6時 東京赤坂よりバスで出発。
午後1時 女川町立病院到着
町立病院も津波で、従来1階の外来部分、検査部分、手術室等がすべて破壊されていたため、2階のリハビリホールを仕切り、外来診療部分となっていました。
医師は、町立病院の勤務医4名、地域医療振興協会から6名、JMATより私が1名で、計11名でした。町立病院勤務医は、主に病棟の入院患者及び老健より移ってきた患者のケアを中心に診療を行いました。その他、避難所(10数箇所)を回るチームに医師2名、自宅でそのまま避難生活を送る人々を1軒1軒しらみつぶしに訪問するチーム(ローラー作戦と呼ばれていました)に医師2-3名と保健師3名があたりました。残った医師3-4名で、外来患者の診療にあたりました。
1日平均300名の外来患者がありました。町立病院のカルテ(電子カルテ)もすべて機能を失っており、患者さんは、紙に名前を書き込んだ名札を胸につけておられました。(もちろん、免許証、保険証等、自分を証明するものがないからです)普通の白い紙をカルテとして、診療を行いました。対象疾患は、それまでの慢性疾患の継続診療がメインでした。
同町内にあった他の個人診療所は津波で流されていたため、従来、町立病院にかかっていなかった患者さんも町立病院へ来院されていました。町の避難所から町立病院までは、徒歩で15-20分以上かかるため、町立病院から送迎バスを出していました。
最も大きな避難所(女川総合体育館)には、1000名以上の避難者がおられ、そこには、鳥取大学DMATが救護所を開いていました。また、自衛隊医療部隊(医官1名)は、避難所を中心に活動しているようでした。鹿児島県医師会が「こころのケアチーム」を1チーム派遣していました。 週に3回、町立病院事務本部にて、午後7時から1時間、町立病院医師、地域医療振興協会医師、JMAT(中村)、鳥取大学DMAT、自衛隊医官チーム、鹿児島県医師会こころのケアチーム、地元の保健師が集まり、現在の活動状況、今後の対策などを話し合う場がもたれていました。

外来患者の特徴:
急性期疾患として最も多かったのは、感染性胃腸炎(ノロウイルスと思われました)でした。腹痛、嘔吐、下痢が強く、同じ避難所にいる方々がほぼ同時発症され、来院されました。外来で点滴をしたり、重症者は数名入院となりました。
インフルエンザの流行はみられませんでした。
慢性疾患では、糖尿病、高血圧症、高脂血症、不整脈、狭心症など、通常の一般内科と同様でした。処方されていた薬の内容が判らず、既往歴等をたずねながらの診療となりました。
家族や家をなくされた方々の喪失感を強く感じました。
食欲不振、頭痛、めまい、倦怠感、不眠などの不定愁訴も多くみられました。

後発救護班への助言として:
現在最も被災地で必要とされる医療は、専門医療ではなく、勤務医・開業医を問わず、まさしく総合診療であると思われました。
その点で、日本医師会会員を中心に結成されるJMATが、最も必要性が高いものと思われます。しかし、活動しようとしても、活動拠点がないのが現状です。
津波によって流され、それまで、そこで開業されていた診療所もほとんど失われています。しかし、開業されていた医師たちのすべてが亡くなっているわけではありません。
私たちの提案は、日本医師会により、被災地のど真ん中に仮設住宅を置いて、それを診療所として活用してはどうかということです。
避難所は町の中心から扇状に散らばっており、各避難所に救護所を置くのでは非効率的です。避難所どこからでもアクセスがよいように、町の中心部を借り上げて、そこに医師会が仮設住宅を使った仮設診療所を開くのがよいと考えます。
働く場を失った開業医が元気でおられれば、その医師に診療をしていただき、もし医師がいない場合は、JMATによる診療活動が行われればよいと思います。

4月7日(木)午前11時半 女川町立病院出発
    羽田空港ANA649便 19:15発 → 熊本空港 21:00着
    23:00 中村こども・内科クリニック着
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