熊本県医師会JMAT派遣活動報告
活動場所:宮城県 女川町立病院
医療救護班員:医師1名 看護士1名
派遣期間:2011年4月14日 ~ 2011年4月21日
派遣チーム:中村弓美 濱崎いづみ
<活動内容>
4月13日(水)午後3時 十万山クリニック出発
熊本空港ANA648便 17:55発 → 羽田空港19:35着
東京宿泊
4月14日(木)
この日から、看護師とは別行動。
(看護師はバスで出発、その後も看護チームの一員として行動しました)
午前9時 東京新木場よりヘリコプターで出発。
午前11時半 女川町立病院到着
午後外来診療支援
午後19時より第11回女川町医療体制調整会議に参加
4月15日(金)
午前7時より朝礼に参加
午前 外来診療支援
午後 外来診療支援
4月16日(土)
午前 外来診療支援
午後 外来応需体制で診療支援
4月17日(日)
午前 御前分校 避難所の巡回健康相談に参加
午後 指ヶ浜(かっぱ農園)避難所の巡回健康相談に参加
準夜当直担当(17:00~24:00)
4月18日(月)
午前 外来診療支援
宮城県薬剤師会のチームに参加して、女川原発避難所(原発の体育館)へ
午後 外来診療支援
午後 19時より第12回女川町医療体制調整会議に参加
4月19日(火)
午前7:30より朝礼に参加
午前 外来診療支援
午後 ホテル花優美 避難所の巡回健康相談に参加
(対象者出払っている状態で実施不可、巡回チームの半分が、急遽指ヶ浜奥の別の避難所へ)
準夜帯で、当直当番医が病棟の看取りのため、外来診療支援
4月20日(水)
午前 外来診療支援
午後 外来診療支援
4月21日(木)
午前 外来診療支援
午前11時半 女川町立病院出発
羽田空港ANA649便 19:15発 → 熊本空港 21:00着
23:30 自宅着
<病院の状況>
町立病院は、1階の外来部分、検査部分、手術室等すべてが使えない状態のままでした。少しずつ、清掃等始まっていましたが、正面玄関はビニールシートで封鎖され、一般の方は2階のホールへ直接通じる階段を上って病院内へ入るようになっていました。
ホールに受付と待合室、薬局部分があり、外来診察室は、ホールから少し入った本館リハビリ室を使用していました。
廊下には支援物資が積み上げられていました。
トイレは、水洗できるようになっていましたが、手洗いの水はでず、消毒ジェルで手を清拭しました。
始末後の拭き紙は、トイレに流さず、ビニール袋をセットしたダンボール箱に捨てていました。
診察室近くのトイレは患者さんと共有で、嘔吐下痢の患者さんには、診察室中のトイレを指定して使ってもらっていました。
私達医師の寝る場所は、医局の中のデスク周りでした。寝るスペースは、土足禁止とし、オムツシートをマット代わりに境界を作っていました。
私は、物資置き場になっている医局の中でも区切られた部屋を寝るスペースとしていただきました(女性として特別配慮していただいたようです)。
他のドクターは、床に薄い医療用の敷きマットや座布団、または毛布を敷いてその上でシュラフに寝ていました。机の下に頭をいれるようにしてくださいと、注意がありました。
他の部屋(スタッフの常駐、また寝る部屋等)は、入り口から土足禁止にしていました。
家をなくした看護職員は、一部病院の寮の空いていた部屋に家族と一緒に住まわれていました。
病院に寝泊りしているスタッフも多かったようです。
入浴は、週に一度ほど、車にのって5-10分ほど離れた山の中腹にある風呂だけの施設(篤志家が、このような震災を考えて風呂設備を維持してきたと聞きました)に病院が連れて行きました。
スタッフもこの入浴サービスを利用していました(入浴の予定表は病院スタッフが割り振りを組んで、送迎は支援に行ったスタッフが行っていました)。
病院スタッフは、皆が被災者であり、震災時の辛さを共有されているためか、皆さん明るく、仲良い印象でした。
食事は、まだまだ、炭水化物に偏っており、野菜やたんぱく質は極少量でした。
朝は山崎パン(クリーム一杯の菓子パン)と野菜ジュースとか、おにぎりと牛乳(ロングライフ)など。
昼も朝とほぼ同様。
夕食で、煮炊きしたものが1品出ました。
夕食時の食器は節水のため、ポリエチレンのカップ容器を使用していました。
滞在後半、紙コップに次がれた汁物が追加され、バージョンアップしてきたなあと日々改善していく状況を実感しました。
夕食で一度、炊き立ての白ご飯が、ポリ容器にラップを敷いた上に注がれて出たときも新鮮に感じました。
(その時は、容器をきれいに使ってください、再利用しますとのことでした。)
滞在中、炊き出しが2回あり、豚汁やうどんなど、食べたときには、とてもありがたく感じました。
又、女川名物の笹かまぼこが、無料配布(全壊地域でなく、工場と材料がかろうじて残っていた蒲鉾やさんから)されてお昼にいただいたときは感激しました。
<医師の勤務状況>
14日到着時点での医師は、町立病院の勤務医3名、地域医療振興協会から7名、JMATより私が1名で、計11名でした。
15日昼から院長が休暇をとられ、17日夜に帰ってこられました。
18日副院長が休暇明け(2日間)で復帰されました(石巻の家が全壊したため、病院の医師住宅に引越して、晴れて女川町民になりました、と報告されました。)
18日に医師の一部交代があり、帰途に着く医師が3名、新しく参加した医師が4名でした。
町立病院勤務医は、主に病棟の入院患者(4階)及び老健より移ってきた患者(3階)のケアを中心に診療を行っていました。
支援チームは、外来診療を担当し、4診~6診体制で診療を行いました。
チームの中から1-2名が交代で、巡回健康相談へ参加しました。
<診療状況>
平日は、1日平均170名の外来患者がありました。
診療体制としては、緊急応需体制から平常診療体制への移行をしつつあるところで、診療時間も、
午前8時受付開始して、8時半から診療。午後は12時半受付開始して、13時より診療開始。
患者さんと付き添いの家族など院内へ入る方には、受付で、名札大の白い紙に名前を書き込んだ名札を胸にホッチキスでつけてもらっていました。
姓が同じ方がとても多く、同姓同名の方もおられ、患者間違えをしないように気をつけました。
町立病院のカルテ(電子カルテ)は、機能を失っており、患者番号は新しく来院順に割り振られ、紙カルテ(白い紙~2号用紙風の紙~印刷されたきれいな2号用紙と変遷)を使用しました。
途中、検査と処方履歴が、1台(のみ)のPCで見れるようになり、来院履歴がある方については、少し情報を得ることができました。
処方箋を出す体制にはなっておらず、紙カルテに書いた処方を見て、薬剤師が調剤をしました。
対象疾患は、それまでの慢性疾患(高血圧症、糖尿病等)の継続診療がメインでしたが、胃腸炎、気管支炎、肺炎、便秘、外傷(瓦礫の撤去作業等を始める方が釘を踏んだりして来られるようになりました)等もありました。
ヘドロ粉塵による気管支炎と思われる咳を訴える方が増加傾向にありました。
自分が見た範囲では、一例、脳障害(後で急性硬膜下血腫と判明)による意識障害の方を輸液、挿管管理して石巻日赤病院へ救急搬送しました。
CT・MRI・内視鏡検査や手術を要する外科処置が必要なケースは皆、石巻日赤病院にお願いしていました。断られず、すべて受け入れていただきました。
準夜当直時には、子どもの自家中毒で点滴するケースや、腹痛・便秘で浣腸するケース、救護所からの入院依頼(普段、夜間のCPAPをしておられた方の睡眠障害、呼吸障害の悪化による)に対応しました。
病棟では、週後半、ほぼ毎日看取りのケースがありました。
同町内にあった他の個人診療所は津波で流されていたため、従来、町立病院にかかっていなかった患者さんも町立病院へ来院されました。普段石巻市の病院に通院しているが、足がないという理由で町立病院を受診される方もおられました。
自家用車を流された人がほとんどで、民間バスを含めて交通手段がないことが、受診を困難にしている状況でした。
女川町立病院チームも、被災地域の家庭(ローラー作戦)や避難所を巡回して診療をしていましたが、4月12日から、巡回診療を中止して、巡回健康相談(避難所で処方するのではなく、町立病院受診へとつなぐ)へと変更をしました。被災から1ヶ月を過ぎ、救急避難的な巡回診療を脱し、継続した管理を目指しての変更でした。
同時に、町立病院受診のためのバスによる送迎が、北浦方面と五部浦方面に週2回ずつ実施開始されました。
避難所の方にとっては、巡回診療と健康相談の違いがわかるわけはなく、私たちが巡回したときにも、その場での処方を求められることが多かったですが、無料送迎バスがあること、受診には費用がかからないことなど、繰り返し説明して、受診を勧奨していきました。
薬がなくて困っている方(避難所での処方は短期でしたので)には、鳥取チームに頼って、3-5日分の処方を行い、その場をしのぎました。
(周知がいきわたるようになり、巡回バスの利用者が増えていきました。)
最も大きな避難所(女川総合体育館)には、800名ほどの避難者がおられ、そこには、関西広域連合に所属する鳥取県から派遣された鳥取のチームが、救護所を開いていました(4-5日でローテーション)。また、自衛隊医療部隊(医官1名他)も活動していました。
鹿児島県医師会が「こころのケアチーム」を1チーム派遣していました。
週に2回(月曜と木曜)、町立病院外来診療室の奥で、午後7時から1時間超、町立病院医師、地域医療振興協会医師、JMAT(中村)、鳥取チーム、自衛隊医官チーム、鹿児島県医師会こころのケアチーム、地元の保健師が集まり、現在の活動状況、今後の対策などを話し合う場がもたれました。
<外来患者の特徴>
急性期疾患として最も多かったのは、気管支炎でした。避難所で咳をすることがはばかられることもあり、咳の悩みは大きい問題と思われました。インフルエンザの流行はみられませんでした。
慢性疾患では、糖尿病、高血圧症、高脂血症、不整脈、狭心症など、通常の一般内科と同様でした。
自分が現地入りした時は、1ヶ月が過ぎており、大抵の方は、避難所か、町立病院で短期処方を受けている方が多かったようです。薬は、同じものがあると限らず、今現在院内で出せる薬を薬剤師の先生が一覧を作ってくださり、それにそって、処方を出しました。
避難所で処方される時には、災害時救急処方用の薬袋が使用され、そこには処方された薬が書かれていますが、持ってこられない方もあり、処方の重複や不足が危惧されました。
頭痛、めまい、倦怠感、不眠などの不定愁訴も多くみられました。
入浴できないことによると思われる皮膚のかさかさ、痒み、そうは性皮膚炎等もみられました。
<後発救護班への助言として>
① 休息の確保
町立病院院長の斉藤先生が、「被災直後から非常な緊張が続いたが、地域医療振興会が医師と物資を多量に送り込んでくれたことで、非常に安心できました。身体的にも精神的にも追い込まれていた私にとって、この支援はこの上ない喜びでした。
半ば強制的に「長期戦になるから、まずは一度休みをとれ」と言われ、17日一旦家族のいる磐梯に帰って来ました。この時に、リフレッシュできたことで、その後の診療活動を続けてこられたと思います。」とおっしゃっていました。
元吉病院の常勤医の突然の辞職にみられるように、被災して不眠不休でがんばった診療者に、ここまでがんばったら休める!という安心感が必要であり、回りから半強制的に休ませることがなければ、バーンアウトしてしまうと思います。
支援で入った医師たちが、現場の医師を頼りながら診療するのではなく、いったん、現地の医師を解放できる体制が必要と思います。
また、支援で入った医師たちにも、休息の時間の確保が必要と考えます。「医療者であれば、私をなくして診療を継続すべきである」という言葉にならない圧力に対抗するためには、システムとして休める体制を作ることが不可欠と考えます。
② 継続性の確保
被災地へは、鳥取チームや自衛隊だけでなく、個人で避難所周りをして診療支援をしていたドクターもおられたそうです。
避難所で、チーム同士がバッテイングしたりしたこともあったと聞きました。
そんなこんなで、調整会議がはじまり、人的物的資源の有効活用を探っておられたと思います。
しかし、それぞれのチームが別々にカルテを作成し、共有される体制ではなく、患者さんにとっては、損な状況だと思われます。
患者さん自身がカルテを保持して、そこへ巡回チームが書き込みを行うようにできたら、一貫性のある医療が確保され、患者さんの利益につながるのではないかと考えます。
処方や、その後の費用請求のこともあるので、実際にはどうすればよいのか、今は思いつきませんが、各チームがバラバラに診療している状況は改善できたらと思います。
③ 処方内容の一元化
鳥取チームには、災害時救急処方用の薬袋があり、薬袋自体に処方内容を書いておられました。
町立病院の薬袋には、処方内容を書いていませんでした。
町立病院だけを利用する分には、問題ないですが、各チームが支援している状況では、どこかで処方内容の重複をチェックする体制が必要ではないかと考えました。
かかりつけの薬局がある今は、複数の病院にかかっても、薬局で薬剤師が処方内容の重複をチェックし、修正が出来る体制です。被災地にあっても、薬剤師会の活動は活発ですので、薬の物的支援を受けるだけでなく、協力して薬剤管理の中央集権体制のようなものが出来たらいいと思います。
④ 予防医療の実践
避難所の食事や衛生面は、被災後1ヶ月を経た現在も、格差と不足があるようです。
疾患の予防、悪化防止の観点から、食事や衛生面についても、医師会が指導、誘導を行えたらいいのではないかと思いました。
物資が届かない、または経済的な問題からか、炭水化物に偏った食事の提供が続いています。
「しょうがない」といえば、それまでですが、疾患予防の観点からの指導を打ち出していったほうがいいのではないでしょうか~。
⑤ 行政との協力関係の構築と受診手段の確保
被災者が受診困難な一番の理由は、足がない!ことでした。女川町立病院では、町の保健師と協力して、避難所の生活パターンやニーズを把握(自衛隊による入浴サービスや洗髪サービスが最優先される行事でした)して、巡回送迎バスを運行することが出来ていました。これは重要なことだと思いました。
もし、このような協力が出来ない状況であれば、JMAT自体が、患者送迎手段の確保をすることが必要と思います。
診療間口を開けていればいいというだけでなく、行政に協力して、被災者の生活全般を支援できる視点が求められていると思いました。
平成23年4月25日
医療法人 扶桑会
十万山クリニック
院長 中村弓美
(外来看護の面から、今後、必要と思われる支援活動)
支援看護師は、問診を主として活動するが、患者さんは、診察開始時間より随分早く来院される方も多いです。
待ち時間を考慮し、支援物資で送られてきた物(ペットボトルの水、お菓子類)を看護師側から声かけしていく。「お腹空いてませんか?」「お水どうですか?」の言葉ひとつで、患者さんの表情も和らいできます。
(お菓子など、並べて置いてあっても、遠慮して、なかなか取れない様)
被災後、日にちの経過とともに、患者さんのストレスも大きくなり、今まで、必死で我慢してきた、感情、辛さが出てきているのは事実。
出来る限り、話を聞いて、患者さん自身の気持ちを表に出せる環境を作るようにしていくことが、必要になってくると思われる。
被災者は、外来を訪れる患者さんだけではない。
病院で働いているスタッフも、みんな被災者であり、住むところ、何もかもを無くされた方も居られます。
昼間は見せないような顔も、スタッフから窺えました。
支援看護師(外来)は交代で、22時まで一緒に勤務をしますが、病院スタッフに対しての心の支えが必要かと思います。
「愚痴ってしまって、ごめんね」「話聞いてもらって良かった。スッキリした」との声もありました。
被災前は、何でも無かった事が今は、苦になる時もあると話されてました。
(時には、問診が嫌になると)
スタッフの体も心も疲れて居られるのは確かです。
精神的な支援も重要視していかなければならないと思います。
活動期間:H23.04.14~04.21
場所:女川町立病院 外来
十万山クリニック 看護師 濱崎いづみ
